のんびりいこうよブログ

日々の話題や感じたや、ちょっと手の焼ける夫(ここではノミオ君)の話題などを中心に話してます

不思議な生き物 家の夫(1)


結婚して 36年 いつの間にもうそんなに月日が経ってしまったのか、、、





不思議な生き物との生活が始まってから気が付いたらこんなおばあちゃんになってしまった
今でもたまに腹立つけど、可愛いペットのようになってきた。


以前、友人などに私の話をすると みんなこう言うのでした。


「よく 別れないで いるよね」


「私なら 絶対 ムリ」


「離婚した方が幸せだよ」 「離婚は悪い事ではないよ」 と言われてきました。


そう言われるのもご最もで訳で
離婚理由のワーストオンパレードでしたからね


私も離婚は何度も考えてきたし 実際に何回も離婚届を書いた
最終的には提出にまでは至らなくて現在に至ってます。
とても理不尽な事、耐え難い事を繰り返され来た


じゃあ なぜ離婚しなかったのだろう



カッコよく言えば 「女の意地」とでも言うのか、私のプライド?みたいな物かもしれない
カサンドラに陥りやすい共依存的な事もあったのかもしれないかな、、、


心理学や精神疾患の資格がある訳でもなく,知識もなかったので
その間、たくさんの本を読みあさり、たくさん勉強してきて色々と試してみました。


そんな時期を乗り越えてきて離婚しなくてもうまく付き合っていける方法を30年くらいかけてやっとここまでたどり着きました。


離婚して幸せを手に入れて、新しい人生のスタートする道もあったかもしれない。


でもきっとその後も同じようなイバラの道を選んでしまうと思った。


なぜって?


人ってどういうわけか似たような人を選んでしまう傾向があるように思うんですよね。
私の場合は母性本能をくすぐられるような「ちょっと助けてあげたい」


「元気になってもらいたい」とかそんな弱い男性に傾く傾向があるんだと思っている。


理想はグイグイ引っ張って行ってくれるような、リーダーシップの男性像があるんだけど
実際そういった男性だったら、これまたうまくいかないと思う。


それは、私自身がついていくタイプじゃないから


私についてきなさいタイプだからなのですね。


こんな気の強い女嫌ですよね(* ´艸`)クスクス💦
意外と夫はこれで居心地いいようですがね。


だから今の夫で丁度よかったのかもしれないと感じました。
ただ、もう少し大人しい方がよかったけどね。


こんなに歳月がたってしまったがもっと早くからこのスタイルを
知ってしたら 自分が楽に穏やかに生きていけたのにとなあと思う。
これはあくまでも家のパターンなのでどこの夫婦でも当てはまる訳ではないと思いますから


たまたま このブログを見て悩んでいる人がいたとしたら
離婚しないでも、大丈夫な道もあるんだよ〜


こんな夫婦のあり方もあるのだな、と言うくらいに思ってもらえればいいかと思ってます。



私19歳夫20歳で まだまだ子供でした。


随分昔は10代で結婚するのが当たり前、そんな時代もあったんですよね。
私の青春時代1980年代 当時「できちゃった婚」っていうのが周りでも多くて
私達もその「できちゃった婚」ていうやつで結婚しました。


今思い返すと19歳の私は料理は恥ずかしながら全く無知
学校の家庭科の授業でしか経験もなかった。


やったー完成した!はじめて作って出来上がったハンバーグ


「いっただきまーす」


箸を入れるとお肉から「 血の海!!! 」


今まで、料理をした事がなかったから
中まで火が通ってなくて生焼けでした。
そんな ままごとのような生活をしてました。


ましてや子供なんて育てられるのか? とよく言われていた。


私の体形は今ではだいぶ縦も横も大きくなってしまったが
当時はお尻が小さくて便器にお尻がスッポリ入ってしまうくらいの小柄でしたから
周りからは「子供が子供を産んで大丈夫か」と言われてました。


28歳までに子供は3人授かました。
それぞれヤンチャ坊主で悩まされることも多々ありました。
周りの人からは夫ばかりか子供たちの事もあって、心配のかけどうしでした。


そんな心配の声にも私は全くもって自身満々、なんの不安もなくて出来るのが当たり前と思っていたから、世の中かなりナメテました
なんというか自信過剰だったというか 若いって怖いものなしなところがありましたからね


その自信はどこから来たのであろうか?
根っからの楽観主義で最強メンタル
それゆえにここまでやってこれたというのかもしれません。


そんな私とは全く正反対の 夫


身長差 30センチ
見た目からして元ヤン ちょい悪オヤジ系の夫


なのにノミの心臓



そのギャップが当時は可愛いとさえ思えていたから この時点で人生の分岐点だったのかもしれません。


                  つづく